『日の名残り』を見る

 

 Bunkamuraでの一週間限定、特別上映。

 

 原作は、英語で読んでいるのに、まるで日本語で読んでいるかのような静かな文体で、日本語で読み直した時には、まるっきり同じ物を二度読んでいるような錯覚だった。

 そして映画も、その雰囲気を全く損なわず、静かでていねいな描写が続いていた。

 

 言いたいことを言わぬ腹芸というものができるのは日本人だけと思いがちだが、こんなふうに見せられると、英国の貴族文化の奥行きにじんわりと感動した。戦国時代の日本の君主と家臣のような話法と礼儀と価値観が、見る者に静かに訴えかけて、カズオ・イシグロでなければ切り取って見せることができない形として残った。まずは重畳。

 

 

 月曜日だというのに満席だった。

 最後の場面で、屋敷を買い取ったアメリカの富豪(引退した下院議員)が、

「昔、この部屋に招かれた時、皆が好きなこと(政治的発言)を言ったけど、あの時、僕は何と言ったっけ?」

 と訊くと、執事が

「存じません。私は私の仕事をしておりましたから。」

 と、言う。アメリカ人は、自分の発言を忘れていたのである。

 執事は「存じません。」と答えることが正しい執事の発言であるからそう答えたのであって、覚えていたのだ。そういうことまでが、映画の最後のあたりになると見る者が全て、理解してしまう。腹芸の文化に飲み込まれて行く。

 原作も、翻訳も、映画もそれぞれに大変けっこうなことでした。

 

 NHKの『ダウントン・アビー』も見どころが多いが、『日の名残り』は、執事の目(主人の快適さ、名誉、財産、人生觀を守り楽しむことを誇りにして生きる者の目)から描かれていて、それがかえって鳥瞰図のように世界が見え、私には心地良かった。

 

 5才までしか日本にいなかったというカズオ・イシグロだけれども、まだまだ若いので、今後の作品を楽しみに待ちたいと思う。

 

 ノーベル賞も、まだまだ人生のゴールとは言えない時代になって来た。